夏休みが1か月もない
7月20日から8月16日までが息子の通う、韓国の小学校の夏休みでした。
1か月もなく、とても短いですね。
でも、冬休みは1月5日から3月初めまでという2か月…。
どうやって過ごそうか今から少し悩んでいるのですが^^;
韓国の学校が全て同じ日程ではなく、学校によってまちまちです。
ということで、夏休みは7月20日からずっと日本で過ごしました。
その間、インスタグラムも全てストップして自然の中で遊んできました。
ネットが不安定なので、授業もなかなかできなかったのですが^^;
やはり、自然は飽きないですね。
都会は飽きても、自然は飽きない、これを実感しました。
場面緘黙の子の夏休み
場面緘黙の我が子のことを少し話すと、日韓を行き来する時に必ず漠然とした「不安」というものが付きまとうということがはっきりわかっていたので、今回は薬も少し使いつつ日本に行きました。
そして、夏休み丸々日本に行った方が不安が減るのではという狙いもありました。
私もそうでしたが、韓国に来てから10年くらいは、日韓を行き来するたびに、時空のはざまというか、空間のはざまにハマって、ここはどこなんだという感覚がありました。
ドラえもんのタイムマシーンで行き来している感覚で、韓国から日本、日本から韓国に到着するとチューニングの合っていない楽器を演奏されているような中にいる、頭の混乱が常にありました。
「リエントリーショック」というものがありますが、そんなこともあったかもしれません。
これを直すのに一番効果的だったのが、空港についてすぐに友だちに電話をして、すぐに会う約束をするというものでした(結婚前の大学院時代です)。
「誰か待ってくれている人がいる」という感覚はこの混乱を鎮めてくれ、早くまたその国に適応することができます。
そして、その国の食事をする。(←これ結構大事)
そんな経験が我が子にも当てはまるかもしれないと思い、夏休みが始まってすぐに日本に行き、新学期が始まる直前に韓国に戻りました(その方がすぐに友だちに会えるため)。
携帯電話が症状緩和に役立った
とはいっても、何の症状のない私でさえ日本と韓国を行き来しながら混乱していた経験があるほどですから、我が子は場面緘黙という症状も持っているので、いかに症状をあまり出さずにスムーズに行き来ができるのかという問題がありました。
一番効果的だったのが、韓国は小学1年生から携帯電話を持っている子が多いのですが、仲のいい友達と日本から通話をしたことでした。
日本と韓国が同時に存在しているという感覚を、電話で何回も確認できた体験がとてもよかったようでした。
また、韓国に戻る前日には日本からその友達に2日後に会おうという約束もできました。
「自分を待っている人がいる」という感覚は、日本も好きだし韓国も好きだし、という我が子にとってはとても重要な感覚だと実感しました。
でも、よく周りから言われるのが「日韓を行き来することによって症状が出るんだったら、帰らない方がいいんじゃない?」ということです。
韓国にずっと住んで、日本に帰らない方が症状を悪化させないのではという話です。
でも、コロナ禍で実際に日本に帰れないという状況になってわかりましたが、日本も韓国も好きな我が子にとって、それは全く見当違いな考え方のようです。
韓国にいる韓国人は自分の国であるので、日本に帰らない方がいいのではと簡単にいいますが、両国が母国のような息子にとってはそれはありえない選択ということです。
息子と娘で日本に対する愛着が違う
ただ、娘は生まれてすぐコロナ禍に突入してしまったので、日本に帰ることができず、最近になって日韓を行き来しているので、息子ほど日本に愛着はなさそうにも見えます。
というのも、日本に行っても「早く韓国に帰る~」といいだすからです。
不思議なものです。
小さい頃に日韓を行き来した経験のある息子と、4歳になってから日本に「訪問」している娘では感覚が少し違うようです。
※場面緘黙の話は人によって症状など違うので、一つの経験談としてお読みください。